供養や修行のときの心得。
自分が拝んでいる間はそこに仏教守護の諸天善神が降臨していると信じて、不敬な態度を取らないことである。
金剛経をはじめ諸経典には、読経の所には、守護の諸天善神が降臨が説かれている。それが前提である。
それが例え、外出先で拝んだとしても同じである。拝むところがすなわち道場である。
そして、自分如きの修行でそういうことが起こるわけがない、と考えるのは大間違い。
だれが唱えようとも経典や真言には功徳があり、必ずご加護があると信じるのが感応の秘訣である。
(人は不思議なもので、禁忌、罰やタブー、迷信などネガティブなものは信じやすい。
自分の心の不安や罪悪感が投影するのである。
しかし、自分の功徳やご加護などに対しては自信をもちなくい。
実は禁忌や罰、タブーを信じて迷うのは煩悩の一つである)
そして供養や修行が終わり、日常生活に戻るときには、頭の片隅でもいいから「自分は菩薩なのだ」という意識をもつこと。その意識で日常の業務などに従事する。