寺社仏閣には、歴史的に有名な人物が行きつまった時に、そこで修行して活路を見いだした話がのこされている。
昔のようにそのお寺に21日間こもって断食修行などは難しいかもしれないが、人生上の難問にぶち当たったときには、修行の時が来たと思い、悩みから一度はなれて徹底的に修行してみるべし。一点集中が困難を打ち破る。
あっちふらふら、こっちふらふらでは、困難を打ち破る力が得られない。
だいたい悩んでいるときは、そのことだけに気をとられて、視野が狭い状態にある。
そして、過剰に心身のエネルギーを消耗している。
起死回生には日頃信仰している神仏に向かいあい、腹をすえて思い切った修行をするがよい。
必ずなにがしかの気づきや御徳を授かるものである。
私自身も何度も経験がある。
しかし、これは普段から手を合わせていないといざという時にはできない。普段の信仰の積み重ねがものを言うのだ。
不器用で鍼灸の師匠から破門になった杉山和一は、江ノ島に籠り、修行して神徳をさずかり、ついに総検校という最高位についた。まさに起死回生。
二宮尊徳は進退窮まったとき、一度現場をはなれて成田山で断食水行、ついに不動心を得て、困難な事業をなしとげた。