大森義成先生
いつもお世話になっております。大阪の〇〇〇〇と申します。
愛染明王様の敬愛修行会に参加させていただきたく、申し込み要項を希望致します。
お忙しいところ恐れ入りますが、お送りいただければ幸いです。
不動明王様の修行会、春季彼岸会に参加させていただき、ありがとうございました。
何か自分の中の大切なものに気づき初めているような予感は得られるものの、現実の私的な問題に振り回され、先生のブログで修行されている方々の、ご同行の皆様のことにまで気持ちを配っておられる様を見るにつけ、自分の至らなさに悲しくなります。
昨夜は、幽霊に襲われる夢を見て、光明真言を唱えるも効き目がなく、聖天様のご真言を何度も叫んでいる自分の声で目が覚めました。大切な夜の礼拝すら行わずに寝てしまったことにお怒りなのではと自分が情けなくなりました。
先生の元で修行を続けさせていただき、もっと人間として年齢相応に成長したいです。
以上いただいたメール(許可をいただき掲載してます)
修行は基本的には自らのものです。
他者は参考にしても、比較するものではありません。
私は私、あなたはあなた、です。
まあ、でも人間ですからそうしてしまうのは無理はありません。
「比較してしまった」と悔やむのは結構ですが、まずはそこに気づくことです。
そして認めること。
至らないからこそ神仏がお守りくださり、修行があるのですね。
この方には夢について次のようにお返事しました。
その幽霊は自分自身のイメージが夢に投影されたものです。
(※ほとんどの夢は自己投影です。)
だから真言を唱えても効き目がないのです。
それより、今の自分を認めることです。
社会生活をしていて疲れたら眠くなるのは当たり前です。その程度で神仏は怒らないです。
それよりそんなご自身をお任せすると楽になります。神仏に遠慮しているのです。
※疲れたり事情があって休みたいときは「今日は休ませてもらいます」と神仏に告げるといいです。
赤色はブログ掲載時に加筆
奈良博三昧から 撮影大森義成