大森義成先生シリソワカ
今日、少し不思議なことがありました。
わが家には、体長5cm程の淡水魚(鯰の仲間)が数匹おります。
私がいつも手を合わせている祭壇の横に水槽があり、正座すると横に水槽という感じです。
日中、滅罪の行をしているとその鯰ちゃんたちが私の一番近くに来てじっとこちらを見ているのです。まるで私の読誦を聞いているかのように。
(私は、餌やりをしていないので、餌が欲しくて近づいたわけではなさそうでした)
ちょうど、もう寿命で瀕死のコもおりました。
じっとこちらを見ているコと、その瀕死のコのそばに寄り添うコもいて、この小さな命が尊く感じました。
偶然、そのような感じになったのかもしれませんが、このコたちも一切衆生のうちなのですよね。
その後の夕の読誦の時も、鯰ちゃん一匹が近くでじっと聞いてくれました。
私の読誦を聞いてくれている、なんて思い上がった考え方かもしれませんが、お経やご真言、そして回向文もより大切に唱えようと思いました。
大森注、以上のメールを頂いたので、次の過去記事をお伝えしました。
仏さまの法を聞くと、畜類もよい境遇に転生します。
それに対して次のメールを頂きました。
その後、鯰ちゃんたちは私の読誦を聞く素振りは一切見せず(笑)いつもの様に自由に泳いでおりました。
あの日だけの偶然だったのかもしれないと思い、大森先生へのお返事をどうしようかと悩んでいました。
昨夜は読誦に集中していると、再び聞いているかような位置に来るのです。今度は2匹が祭壇の方向を向いてじっとしており、1匹は私の方を向いていました。
偶然だと思いますが、注意散漫な読誦では鯰ちゃんたちも耳を傾けてくれないのかもしれません(苦笑)
今後は、聞いていたとしてもそうでなくても読誦に集中します。
過日の大森先生のブログで、濱地天松居士の「観音経賛」のご紹介がありました。勝手ながら観音経賛を、観音経偈を読誦する前にお唱えしています。
観音経賛の「種々の身を現じて常に説法す」とお唱えしていて、ハッとしました。もしかしたらあの時、一切衆生の命の尊さを気づかせるために観音様が鯰ちゃんに化身したのかも!?と、思ったのです。(壮大な妄想です…)
妄想であっても、気づきを与えてくれた鯰ちゃんたちに感謝を込めて、シリソワカと手を合わせました。
それから、大森先生からのメールに添付されていたブログ記事、拝読しました。
覚海大徳の足元に遠く及びませんが、私も魂が転生を繰り返しようやく人間となり、ご仏縁により今生で仏教に触れる機会に恵まれたかもしれません。
そして、この鯰ちゃんたちともご仏縁で繋がっているのかもしれない、と感じました。鯰ちゃんたちとのご仏縁にも感謝です。