大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

喪失と供養

人(生物)は必ず亡くなります。これは真理です。

誰かが亡くなったとき、強いショックをうけたり、悲しみや後悔、罪悪感を感じるのは当たり前です。

一方、何も感じなかったり、怒りをかんじて、それを自分や他者にぶつけることもあります。これらはすべて喪失体験から起こるのです。自然な心理です。

 

ひとそれぞれ感じ方は違います。何年も引きずることもあります。

その時間はやはり人それぞれです。

「時ぐすり」というくらいで、ある程度の時間は必要です。

(10年20年いやもっとかかることもあります。)

 

また、家族など同じ境遇でも、感じ方が違うので、互いに理解しかねるという話を聞きます。これも無理はないのです。

(当然、こう書いている私の文章に反感を感じることもあるでしょう)

そして、これらの感情は自然なことなので、否定しないでまずはそのまま認めることです。(時に否定する気持ちがおきても、それはそれで必要だと認めましょう)

 

同時に亡くなった方に対して、今すぐできるのは、なんと言ってもご供養です。

 

ご縁のある寺院や霊場で回向を頼んでもよいでしょう。

 

それ以上に大事なのは、自分自身が読経や写経してのご供養です。

 

(ちなみに私は金剛般若経要品の写経を勧めてます。短いのと功徳が有るからです。)

 

それも悲しみや罪悪感、後悔にひたる時間以上に供養するのです。

(先にも書きましたが、そういう感情を抑える必要はありません。その感情とともにです)

あれこれ、考えずすぐ実行です。それは仏前に限らずです。

 

日常でも思い出したら、その場で帰依する仏菩薩の真言、大随求真言や光明真言など自分の知る真言やお経をとなえてもいいのです。声に出せなければ心の中で唱えましょう。

そして仏さま(お大師様、お不動様、観音様など自分の帰依仏)に亡き人のお導きをお願しお任せして、その方が安らかでありますようにと念じるのです。

 

写経も筆と専用の用紙でなくてもいいです。ノートにボールペンでかまいません。

 

供養こそが、亡き方に大いに役に立つのです。

 


f:id:oomorigijyou:20231026105502j:image