大森 義成 先生
いつもお世話になっております。
お陰様で、最近、「シリソワカ」と自然に想える様になりました。
先日も書かせて戴きました通り、どうも今までは「型通り」の域を出ていなかったのですが、
それでも時間と年月を重ね、様々な想い、喜怒哀楽しながら「滅罪」を重ねる中、「祝福する」事が理屈ではなく、ようやく腑に落ちました。
滅罪を通じ、自己観照や反省を繰り返す中、ようやく、祝福と感謝出来る心のゆとりや気づき?が生まれたのかもしれません。(滅罪はその為の「あくぬき」の様なものなのでしょうか…)
よって、勘違い・筋違いかもしれませんが…以前、何かの本で「常不軽菩薩」のお話を読みました時、あくまで、法話・他人事の様に聞いておりましたのですが、その事についても、何か心に響く様に…。
ありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。