大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

お知らせ

仏縁尊しありがたし

 

◎施餓鬼供養関連

3月19日からの施餓鬼供養は本日3月25日に結願しました。

継続の方は、明日3月26日からの施餓鬼供養でご供養をつづけます。

4月2日(日)からの施餓鬼供養の申込締め切りは3月29日水曜日です。

水曜日をこえると、翌週の供養になりますからご注意ください。

ご自身でなにか気になる方がいるならば、それはご供養の時期です。

施餓鬼供養については下記リンクをご参照ください。

https://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2022/09/22/130936

 

◎行事の日程変更

今年度から

4月に滅罪会

5月に愛染明王敬愛修行会

を開きます。

滅罪会の修行法は少し変更があります。

 

 

 

◎メール関連

お彼岸などでメールの返信が遅めです。

特に質問がある方には少しお待ちいただいております。予めご了承ください。

あと、メールにはフルネームで記載してください。

 

ご紹介の場合

ご紹介いただいた場合、どのなたのご紹介かフルネームで記載いただくと助かります。

紹介者に失礼が無いようにするためです。

 

以上よろしくお願いします。シリソワカ

吉祥成就合掌礼拝

大森義成


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逆子のお加持その2

 逆子体操しても逆子が治らないという方の依頼で施餓鬼供養をしました。

併せてお稲荷さん、産場大神様と准胝観音様にご祈念、お加持しました。

おかげさまで1週間で功徳をいただきました。

 

逆子は早く治る人もいれば 、ちょっと時間のかかる人もいますけれども、今までは皆さんおかげをいただきました。

 

私もお稲荷様の威神力を実感しています。

ありがたし、ありがたし

 

ここから頂いたメール

 

大森先生シリソワカ
いつもお世話になりありがとうございます🙏

今、お嫁さんから、今日検診に行ったら逆子がなおってたと連絡ありました。
大森先生が締め切り日を過ぎてたのに施餓鬼供養をしてくださり、お加持もしてくださったおかげです。ありがとうございます🙏
お嫁さんには、これからも赤ちゃんに話しかけてあげてね。と伝えました。

大森先生が、お腹に手を当てて、赤ちゃんお腹の中では頭が下だよ。シリソワカ。と優しく話しかけたらいいと教えてくださったので、私は施餓鬼供養をさせてもらう時に、お腹に手を当て話しかける想像をしてさせてもらいました!

大森先生はいろんな事を教えてくださって、いつも本当に助かります。
いつもありがとうございます。
これからも宜しくお願いします😊



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産場大神

令和5年 春季彼岸会の感想その1

供養したつもりが供養されている。そこに気づく。これが善龍庵のご供養です。

 

大森義成先生

 

こんにちは。お世話になっております。

この度は春季彼岸会に参加させていただき、誠にありがとうございました。

 

お次第をいただいたころから、お会いしたことがないずっと昔のご先祖様たちが近くに居るような感覚がありました。

 

流された汗水・煮炊きをしたご飯の香りが漂い、そこに生活していた人たちのなかに包まれていたような。目で見たわけではないのですけれど、不思議な時間を過ごせました。

 

最後にご真言を唱えた時には、大きな駅のようなところへ沢山の人が入っていく様子が瞼の裏に浮かび「皆様のお見送りをさせてもらえたのかも…」と思っています。

 

長らく出来ていなかった供養ですが、ずっと気になっていたことを放置せず、出来ることを最後までさせてもらうことの大切さを実感いたしました。

 

 

所縁ある動物諸霊への回向につきましては、遠くの方に並んでいる生き物たちの姿と土の香りを感じ、はじめはご供養が届いていないのかなと悩んだのですが

 

「ああ。もう土に還っているんだ。」と感じてからは、この供養は彼らにとってではなく、私にとって必要だったんだと思い手を合わせ直しました。

 

その土に養われて自分も生きていたわけですから、改めて供養は心配でするものではなく感謝ありきでするものなのだと。

 

特に一番気になっていた愛犬は、よく似た犬を続けて見かけるということがあり「元気だよ、心配しないでね」と伝えてくれた気がしています。

 

先生にご連絡する時には「そもそも相手は、私からの供養を望んでいるのかな…」と躊躇してしまうこともありましたが、供養をすることで私が気づけることがあるのなら、素直にさせていただくことが本望なのでは?と今は考えています。

 

この度も、貴重な機会をいただきありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

大森先生シリソワカ

ご同行の皆様シリソワカ

全てのご縁にシリソワカ

撮影Sさん

永代供養、逆修供養の感想その4

大森義成先生

いつもお世話になっております。
春季彼岸会でご多忙のことと存じますが、永代供養の申し込みをお願いしたくご連絡いたしました。
必要事項は以下の通りです。
(中略)

前回の申込みで身内の逆修供養しか申し込めず、ご先祖様は素人の供養だけで足りるのか?としばらく悩んでいました。(もちろんまず子孫が拝まない事にははじまらないのですが……)お寺様にも拝んでいただけるとのことできっと喜んでもらえると思います。


ご神仏・ご先祖への供養をはじめるまでは人生に対して正体のよくわからない焦燥感がありましたが、ご供養をはじめてからはそれがすっと消えました。


世の中には先祖供養のおつとめのために生まれる子孫がいるなどという話も聞きますが、この気持ちの変化を見ると案外私もそうだったのかもしれません。

高野山にて撮影

お知らせ

永代供養、逆修供養の締め切りは4月30日です。

御宝号の書写

大乗仏教では経典や聖句の書写を重要な修行と位置付けている。

 

さて、毎日「南無大師遍照金剛」の御宝号を11回書写していると、御同行のNさんから教えていただいた。

お友達に勧められたのがきっかけとのこと。

とくに私が感心したのは、「南無大師遍照金剛」を一行書くごとに、ご先祖様各家や家族、友達などにに感謝を込めているというところ。

 

どんなふうにやっているのか尋ねたら

 

一行目はお大師様に
二行目は高野山の僧侶の皆様と写経を薦めてくれた友達に
三行目はそのほかの助けてくれる友達たちに
四行目は家族に
五行目は父方のご先祖に
六行目は元婚家のご先祖に
七行目は母方のご先祖に
八行目は自分の前世に
九行目は好きだった人に
十行目は亡くなったペットに
十一行目は三界万霊に
 
それぞれ贈る気持ちで書いています。
 
とお返事を頂いた。
お大師様のご宝号のみならず、自分の信じる神仏の名号でもよいなと思った。たとえば観音さまなら「南無大慈大悲観世音菩薩」など。回数も7回とか21回自分で決めてかまわない。
続けられる数が良い。
 
11回の根拠はわからないが、真言宗で読誦する理趣経の最後に合殺(かっさつ)といって「毘盧遮那仏(ひろしゃだふ)」を11回唱えるので、それにちなんだものかもしれない。
 
Nさんのようにご先祖やご縁ある方々に贈る気持ちで書くとさらに気持ちがこもる。
 
 
 
応用として毎日、自分の祝福行の一つで、「◎◎◎◎(自分の名前)シリソワカ」と
7回以上書くのもよいだろう。
筆に限らずペンでノートに書くことも。
 
 

ちなみに、徳川家康日課念仏といって、毎日「南無阿弥陀仏」を書写していたという。

 

museum.umic.jp

 

日課念仏を紹介している上記のサイトの中には、興味深い話が掲載されている。

 

家康が書いた660の南無阿弥陀仏の名号の中に「南無阿弥家康」と書かれた箇所が六カ所もあると紹介されている。理由はわからないとあるが、私はここに注目したい、

「阿弥」と名前に付けるのはいわゆる「阿弥号」だと思う。

念仏の信仰者が自分の名前に「阿弥陀仏」や「阿弥」をつける。

有名な観阿弥 世阿弥 などがそれである。

家康がそれを書いたのは、信仰者としての自分を認める。すなわち自分の祝福だったのではなかろうか。

 

Nさん筆

 

令和5年度 春季彼岸会結願

仏縁尊しありがたし

令和5年度春季彼岸会は昨年より多くの御同行のご参加を頂き、

本日無事結願しました。

なお、彼岸会の供養法は、明日の彼岸終了まで拝んでいただいて大丈夫です。

供養するものは供養される。この期間はそれぞれの気づきがあったと思います。

「きょう彼岸 菩提の種を まく日かな」

吉祥成就合掌礼拝

大森義成

 

 

ご先祖とは?

以前、友人にそう尋ねられたので、

「ご先祖は自分だよ」

と答えた。

 

過去の先祖の代表は今の自分。

だから先祖供養は自分を供養すること。

 

不遇が続くのは「先祖が悪いから」と嘆く人がいた。

そう思うのは無理もない。どこかに責任を転嫁したくなるのは人情だ。

いや実際そういうことも少なからずあるだろう。

 

逆にそういう脅しを使う宗教がある。

先祖が地獄に落ちている。先祖が恨まれている。

供養すれば救われると…

これをマッチポンプという。悪役にされたご先祖は苦笑している。

悩んでいると心は無防備なのでそれに引っかかる。

 

面白いもので、ほんの一時だが先祖のせいにすると、自分が嫌な感情を負わなくて済む。一時しのぎにはなる。だがいつまでたっても安らぎは無い。

 

そして、先祖を否定することは自分を否定することである。

 

当然、悪い先祖もいれば善い先祖もいる。

善い悪いと裁くといつまでたっても終わらない。それを迷いという。

 

それよりも、その善悪を認め、祝福し、回向し、越えていく。

もちろん簡単ではないが、続けていると自然にそうなる。

感謝できる日がやってくる。不思議な計らいもある。

それが先祖供養の本質であり、自分を尊ぶ道、すなわち密教の供養である。

一切皆清浄 シリソワカ

 

大宝楼閣とは私たちの心にある菩提心の姿である。